オノレ・ド・バルザック その人と背景

今日と明日の2回に分けて、私が大好きな作家の一人、オノレ・ド・バルザック(Honore de Balzac)についてお話したいと思います。

2,000年に、彼の没後150年を記念した催しが、世界のあちこちでありましたので、ご記憶の方も多いと思います。私は彼の小説も大好きですが、バルザック自身の人生、生き方にとっても興味がありまして、それについて書かれた本をいろいろ読んだ事があります。

バルザックは、1799年5月20日(フランス革命の10年後です)フランスのトゥールで生まれ、1850年8月18に51才で亡くなっています。オノレ・ド・バルザックの”ド”は、彼が貴族を気取って勝手につけたものです。彼が亡くなった時に弔辞を読んだのは、親友のヴィクトル・ユーゴでした。

小さい頃から母親に愛されなかった(と、バルザックは信じて疑いませんが、そうでないようにも思えます。疑問です。)ようで、生後間もなく近くに住む乳母に預けられ、その後寄宿舎に入りますが、(8歳から14歳くらいまで)ここでのバルザックは、友達もなく、本を狂ったように読む時を過ごします。
6年間で母親が彼に面会に来たのは、たった2度だったようです。(その事を理由に、バルザックは、母親が自分を愛してなかったと思っています)

大学の法学部に入学し、両親の希望する公証人となるべく法律事務所で見習いを始めますが、……………

やはり小説家になりたいという望みを捨てきれず、20才の頃から小説を書き始めます。最初の頃は名前を出さずに、友人たちと一緒に書いていましたが、20才代後半に、印刷業と出版業、ひいては活字製造業にまで手を出して、経営に失敗し、大きな借金を負う事になります。28才、この頃から自分の名前で小説を書き出したとされています。

そして、彼の作品が今の人々にも読み継がれている、その集大成の作品群の名前、それが「人間喜劇」(La Comedie humaine)です。「人間喜劇」の構想は彼自身によって、1842年に発表されましたが、構想自体はすでに1830年頃からあったようですね。「人間喜劇」には100編あまりの小説が含まれ、登場人物の数は、2,000人を超えていると言われています。

ですが、1850年に彼が亡くなった事で、「人間喜劇」を終結させる事はできず、執筆予定だった作品も50作近く残ったとされています。

バルザックが小説に描いている時代、それは1817年から1840年頃です。歴史的には“王制復古”の時代です。貴族がだんだん力を失ってきて、それに代わって、ブルジョアと呼ばれる商人や企業が実権を持ち始めていました。産業革命が進み、金融資本ができ、銀行が力をつけてきます。

バルザックはこういう時代に生きていました。ですから、ここに生きる人間を描きたかったのです。
男と女の関係、いろいろな人の職業、お金、政治、司法、愛や騙し、等々、現実の人間社会で起こり得る、ありとあらゆる事柄を描こうとしたのです。

「人間喜劇」には、今私達が抱えている問題の多くがすでにあったのです。ですから、彼が亡くなって160年たった今なお、多くの読者が彼を愛してやまないのですね。

写真左がバルザックのポートレート、右は、数年前にパリで購入した「バルザックの時代のパリ」を描いた本の表紙です。

バルザック

「バルザックの時代のパリ」の中身ですが、シャンゼリゼ(Champs-Elysees)の通りが、今とほとんど変わらない事に驚きです。

シャンゼリゼ

明日は、バルザックの作品にも触れながら、彼の日常のお話をしたいと思います。

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